韓国で就職、子育て、旅育からの、親子留学?

新卒でソウルで就職、一人旅後、中国で就職、現在またソウルで働きながら子育て中のアラフォー:ソウル在住日本人

韓国で初めての職場では泣いてばかりだった件

韓国語のレベルは?

 韓国語は日本の大学で4年間、その間に1年間延世大学語学堂に通い卒業。大学を卒業した後すぐにワーホリで渡韓。ワーホリで数ヶ月バイトをした後、大手法律事務所で秘書になったものだから、今の若い子たちよりも韓国語は全くできませんでした。

 

90年代後半から2000年代前半だったので、韓国語の教材も少なく、インターネットがやっと普及してきた時代。Youtubeやアプリでスタディなどと素敵な勉強法などなかったし、無料の自動翻訳なんていう画期的なツールもなかったですね。私の卒論は「韓国のサイバー言語」(今でいうネット用語)だったけど、当然文献もなく、地道にデータ収集して書いた卒論でした。

 

なんで泣いてたのか?

当時は、逆に求職ライバルが少ないので職につくのはある意味楽でした。でも、韓国語の能力は底辺だったし、新卒だったので、日本でも働いたことはなく(バイトはあるけど)、新社会生活をカタコトの韓国語で外国で始めたわけで、ストレスは半端なかったです。

しかも、あのイレギュラーな採用でしょ?(苦笑)トイレで泣いてたな~。何が大変って、業務量が半端なかったです。残業は毎日、しかも遅いときは終電がないからタクシーで。秘書研修は、韓国人でも研修中にしんどくて辞める人もいるような中、私はちょくちょく本業務で抜けてたので、なぜか2回研修を受けなければならなくなったし、血を吐きそうでした。さらに、その研修で上の方の上司に文句ぶちまいたら、煙たがられるようになったという・・・あれ?案外強い子?(苦笑)

 

さらに、まだ新卒でお金もなかったので、コシテルに住んでたんですよ。コシウォンよりは、ちょっといいし新築だけど、やっぱり狭いよね、っていう。成人してから一度も発熱したことなかった私が、一度40度の熱を出して休んだときは、チームの直属上司がお見舞いに来てくれました。でも、「こんなところに住んでるの?」ってかなり驚いていました。驚かれたことに驚いて(笑)その後すぐワンルームに引っ越しましたが。

 

熱出すくらいストレスフルでしたが、周りに慣れてきたし、周囲の人が思ったより助けてくれたのと、日本人の30代のベテラン士業が2人もいたことが救いでした。しかも、2人とも韓国語がほとんどできないし、顧客は日本企業なので、周りのスタッフが日本語できる韓国人ばかりだったというのもあります。だから、チーム内にいると言葉の壁にあたることはありませんでした。当時は、韓国語が全くできない人たちが、「士業」という立派な資格で勤務していたんですよね。(最近は韓国語のできる日本人士業が多いですが)

 

チームを離れた秘書業になると、もう、イヤでイヤで。プライドが富士山並みのお嬢様秘書ばかりだったので、話が合わない、常識が違う、人を下に見る加減がひどい。二度と秘書業をやりたくないんですよね。トラウマがすごくって。

この時からかな、会社勤めになるとものすごいコミュ障になるの(失笑)

 

でもいまさらですが、あの時ふんばって秘書研修もがっちりやっておけば、韓国語もどんどん伸びただろうし、MSオフィスとかバリバリできる子になってただろうなとは思います。ずっと続けてたらかなり儲けただろうけど(苦笑)当時は、やりがいを感じれなかったんですよね。

 

今なら、やりがいよりも生活費!と思って、息抜きもしながら働ける気もします(現職は息抜きすぎて眠いですけどw)若かったので、どうしてもやりがいを求めてしまって、気がついたら、旅人になってました(←え?)

 

現在、その法律事務所は韓国の大学院で法律学部をでた~とか、日本の国立大博士~とか、士業ではないけど、スタッフで高学歴の日本人スタッフが多々おられるようです。ただ、高学歴も何も関係なく、きっとハードワークをされているのが目に見えますが、がんばって・・・としか(苦笑)

 

一言・・・

まとまりがあまりないですが、最後に一言。

韓国の法曹界を目指す方に、とりあえず、日本の法曹界経験してから来ると楽だよと教えてあげたいですね。